2004年10月24日~10月26日
新潟県小千谷市に震災ボランティアに行ってきました。


このボランティア活動は、「あやせ災害ボランティアネットワーク」の活動の一環として、
現地の緊急援助と、ボランティア派遣のための情報収集のために行ったものです。
ですので、以下の記録は、「あやせ災害ボランティアネットワーク」に報告した内容です。


2004年 10月 24日 13時 県災ボラ緊急打ち合わせ
20時 20分 綾瀬市出発
25日 7時 7分 小千谷市役所到着
7時 30分 市立南保育所避難所
10時 小千谷市ボランティアセンター立ち上げ会議
12時 小千谷市総合体育館避難所
13時 市立小千谷中学校避難所
14時 10分 市立南保育所避難所
15時 20分 小千谷市役所
15時 40分 小千谷市出発
26日 9時 綾瀬帰着

                   

【出     発】

 23日の地震をうけて緊急に開かれた県災ボラの会議(県民サポートセンター)にあやせ災ボラとして上田が参加。現地へ入るルートがほとんど寸断されている中で、ようやく湯沢からのルート、飯山からのルート、上越・柏崎からのルートが使えるらしいことが判明。それぞれ現地入りできるメンバーが十日町市、六日町、小千谷市の状況を把握することを目的に出発することとなった。
 あやせ災ボラは、20000円分の物資を調達して小千谷市にむかうこととした。
 企業などをまわって物資の調達を求める時間はないので、市内のスーパーで調達。売場責任者に事情を話し、すべて2割引でパンと水(120ℓ)を購入。(ダイエー綾瀬店さん、ありがとうございました)
 この物資は、被災後カロリーメイトしか支給されていなかった南保育所避難所に届けられた。



【震度5強の地震に遭遇】

 柏崎市から小千谷市にむかう途中(午前6時5分)、震度5強の地震に遭遇。運転中のハンドルが右、左にとられ、蛇行してしまった。そのとき、「バチンバチン」とものすごい音。道路脇の少したるんだ電線が上下に弓なりに振動してムチのような音をたてていた。

【道路の陥没・亀裂】

 道路はいたるところで陥没、亀裂が入っていた。震災後もなんとか通れた道が、余震のせいで通れなくなってしまったところもある。



 この道は柏崎市に住む知人の友人から「昨日は通れた」と聞いた道。段差をゆっくり越えながら進んだ。帰りは修復工事がはじまっていて全面通行止であった。
 左の写真は、亀裂による段差のため身動きできなくなったタクシー。乗り捨てられていた。

マンホールの周りが陥没している。
こういう箇所が非常に多い。
小千谷中学校の前の道で、
約150mにわたり道路片側が陥没。
下は下水管か水道管と思われる。

【建物その他の被害】

今回まわった中では、
完全につぶれた家はここだけだった

国土交通省の除雪車のターミナル
ブルーシートで雨漏りを防ぐ。
瓦がはずれてバラバラ
にずれている

敷地が陥没し、めり込んだ車。

埋められていた土台が抜けている。
目茶苦茶になった体育館。
正面の舞台の上の壁が落ちている。


倒れてきた食器棚。地震による停電で
真っ暗な中、ガスを無意識で消して
逃げ出した直後倒れてきた。
「あと2、3秒逃げるのが遅かったら
どうなっていたかわからない」と、
この家の主婦は語った。

緑色の横になっているのは非常階段。
これでは、非常階段を使って
逃げ出せない。

【避難所】

駐車場で生活。被災直後なので
まだオートキャンプ気分的余裕が
あったが、長期化するとたいへん。

余震が怖くて校庭の車の中で生活。
昼間は人の姿が少ない。
家のかたづけにもどっているようだ。

ペットがいるので避難所の建物
の中に入れない人。

ガレージで生活。
バッテリー切れで携帯が使えない。
NTTドコモが巡回して充電中。

給水車に長蛇の列。このあと水がな
くなり虚しく引き上げる被災者。

学校は休校。

保育所のなかの被災者。

 男女共用の上、保育所のトイレのため上半分があいていたので、あいているところに目隠しをつけた方がよいと、提案。すぐ採用されてこのようになった。
 水が出ないので、「大便は新聞紙につつんでビニール袋に入れてください」の張り紙。
 私は、現地ではなにも食べないことにした。


 写真上左。町内会の役員を中心にまとまって対処していたが、避難民のストレスがたまるこれからがたいへんになりそう。役員に女性がいないのが心配。
 また、「救援物資がカロリーメイトしかとどかない」、とか、「ここは避難所として認定されているのか不安だ」、という声がでたり、対策本部の情報を電話だけで得ようとしていたので、本部に情報係を常駐させるくらいの方がよいのでは、と提案。本部に人を派遣したとたん毛布がもらえたと感謝された。(写真上右)

 また、具合の悪くなった方が休む部屋や女性が着替える部屋が用意されていなかったので、プライベートルームを確保できないものか、と聞いたところ、被災者が入っている小さい和室をそのために用意することとなった。あまりにスムースに話が進むので、「和室にいた被災者は了解してくれたのですか?」とたずねると、「役員の親族だったので大丈夫です」との回答でした。

【災害ボランティアセンター立ち上げにむけて】

 10時から災害ボランティアセンター立ち上げにむけての会議に出席。市対策本部、市社会福祉協議会、市青年会議所ら地元のメンバーと「震災がつなぐ全国ネットワーク」の吉田氏をはじめ各地から駆けつけたボランティアコーディネータが集まっていた。

 台風による水害救援活動との同時進行になるので、関西方面のボランティアは水害支援に力をとられ、中越までなかなかこられないだろう。関東・東北のボランティアが中心になるだろうと話し合われた。
 ボランティアセンターの組織については、下記の構想が提案されたが、いっぺんにはできないので走りながら体制を作っていく方向となった。

「総務班」お金の管理、その他。
「ボランティア班」ボランティアの受付、名簿管理、ボランティア保険の加入手続き、ガムテープ名札の作成、他。
「ニーズ班」避難所・被災者からの要望をニーズ表にまとめる。
「マッチング班」ボランティア班で作成された名簿・個人カードとニーズ班で作られたニーズ表をもとに、ボランティアの仕事を提案する。
「資材班」軍手その他救援活動に必要な資材を渡す。
「弱者対応班」地域をまわり取り残されている人に対応する。
「炊き出し班」どんどん場所を変えながら炊き出しをしていく。
「ハートフル班」心のケアを担当。お年寄りの話し相手になることなど。

 こうしたボランティアセンターの考え方は、宮城県社会福祉協議会の「災害ボランティアセンター体制整備」に詳しい。このページから「手引きをダウンロード」できる。URLは、http://www.cc.rim.or.jp/~mswc/saigai/saigai%20%20newpage.htm である。

 また、ホームページなどで素早い情報の提供を行うことによって、ボランティアからの問い合わせ等でセンターが混乱することも少なくなり、効果的なボランティアを募集できるとの意見もだされた。

 被災3日目で、当面求められているボランティアは、①ボランティアをコーディネートできる人、②市役所の職員が救援物資を運ぶのに手をとられ、本来の復興にむけた職務につけないので、物資を運ぶボランティア、③あたたかい食べ物を提供する炊き出しボランティアではないかと思う。いまだに強い余震が続いているのでやみくもに駆けつける時期ではまだない。かたづけボランティアもたくさん必要だが、余震の続くなかでは危険。

現地ボランティアセンターの電話は、
258-81-6252 0258-83-4677


【あやせ災害ボランティアネットワークとしての当面の対応】
 県災ボラとしては、当面大挙してのボランティアの派遣はせず、後方支援を中心にすえた活動となる。しかし、現地の生の情報は重要なので散発的・自発的な派遣も必要という方針になった。そうしたなかで、あやせ災ボラとしては、県の方針後最初の自発的現地派遣を10月30日~31日で取り組むこととなった。参加者は、10名の予定。

 また、ボランティアの活動を支え、被災地で必要な物資を調達するために、「新潟県中越地震救援カンパ」の受付を開始した。
【郵便局の口座番号】
記号 10970 番号 670671
名義 アヤセサイガイボランティアネットワーク